今回は、東京大学で建築計画学をされている大月さんの話を聞いた。
復興の抱えている問題を多岐に微細に話して頂いたので、イロイロな疑問が解けた気がした。
とてもいい話だっので、少し長くなるけど記述しておこうと思う。
(僕の備忘録も含めて)
冒頭、まず予備知識として、明治の火災による100年前の復興住宅、90年前の関東大震災後の復興計画、から話が始まった。
当時の復興住宅(仮設住宅や関東大震災後の同潤会アパートなど)の特徴は、復興住宅「だけ」でなく、医職住(衣食住にもじって使っていましたね)があったという。
つまり、現在の仮設住宅のように住戸「だけ」が並ぶ環境ではなく、託児所、共同風呂、授産所、診療所、店舗など生活をフォローする施設が併設されていたという。
では、なぜ、阪神淡路大震災や東日本大震災(今回は一部改善されたけど)では、住戸「だけ」が並ぶプレファブの風景になってしまったかというと、戦後に制定された「災害救助法」(S22)にその問題があったという。
その法律によって、予算が仮設住宅「だけ」に使用される道筋ができてしまって、
他の施設を建てようにも、予算がつかない仕組みになってしまったのだと。
(ちなみに、住戸「だけ」が並ぶ仮設住宅にどんな問題があるか?というと、独居老人の孤独死とか、コミュニティの不足による鬱状態とかいろいろな問題を引き起こしている)
ということで、以上は問題点の「ほんの1例」
まだまだ多くの課題があるが、その幾つかを原因も含めて丁寧に話してくれた。
次回は、コミュニティが専門の建築計画学者(大月さん)が、なんで歴史や法律や予算の問題、基本となる国の制度まで立ち入らないとダメだったか?と言う話をしよう。
画:hiromichi yasuda
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